BLOG

2022.10.26

残念ではありますが、、、

みなさま
こんばんは
ステンレス、難削材の精密旋盤加工 ステンレス精密旋盤加工.COM 中川鉄工 中川ひろしでございます。
今年に入って始めました、中川家のルーツを辿る調査。
完全にとん挫いたしております。
私から遡ること、曽祖父の中川鉄工所創業者 中川新次郎、そしてその父母、その祖父母までは辿れているのですが、その先を辿ろうとしますに、完全に行き詰ってしまいました。
曽祖父の父母が住まわれていた近くや、曽祖父が住んでいた近くに当時位置していたお寺さんにすべてお聞きしましたが、ご先祖様の戒名に行きつくことなく、調査完了まじかになりました。
その調査に当たり、ご協力いただきましたお寺さんは10を超えています。
お手紙を差し上げて実際にご訪問させていただきましたお寺さん。
また、お電話にてご対応していただきましたお寺さん。
また、ご丁寧にも弊社までお越しくださり、色々ご教授いただきましたご住職さん。
残念ながら辿ること道半ばにして終わりになりそうな気配です。
中々感じることのできない人の温かさを感じる期間でした。
お聞きするお寺さんのあった現在の北区天満の地域は、大東亜戦争末期の大阪大空襲において、ほぼ全域が焼け野原のような状況にあり、すべてのものが焼き尽くされたようです。
そして協力工場でもあった大阪砲兵工廠に近く、ほぼ全域が丸焦げになった地域であったようです。
そう思いますと、よく曽祖父が生きていてくれたなあと思いますし、よく祖父が出征した兄弟三人のうち激戦地であった南洋ラバウルより一人だけが帰還してくれたものと思います。
運よく残ったこの方々があり、焼け野原でバラック小屋を建立し、中古機械を購入して再起して、今この地で事業が継続できております。
この事実に触れ、なんだか悲しくなると同時に、焼け野原から奮起して再起したその時の気持ちを、これから先も私どもが継承していく使命に燃えております。
生前は厳しく我々に接していた祖父母。
よく言い合いましたが、今思えば、こういったことをもっと、もっと聞いておく必要があったなあと、切に感じております。
後悔先に立たず。
私の代でできることはきちんとやっておこうと思います。
ここに至る過程もご先祖様の供養になっているのではと思いますし、まだあきらめていません。
どこかでふっとお名前を見つけることが出来ると思っております。

↑ page top